Robinia Hillの舞台裏をご紹介します。

2010年3月24日水曜日

3人でやる意義は

一言で言うと、自分の姉妹がどんな人たちなのか知るチャンス。
言ってみればこれまでの“つぐない”もあるかな。

どこでどんな風にして大人になってどんな価値観を持っていて、どんな可能性があるかさえ知らない姉妹なので逆にその“他人的距離”を大事にしたい、とも考えてる。なんといっても、ビジネスにはかわりないので、甘えや馴れ合いは許したくない。どんな発見があるか楽しみです。
3人のこれまでの生き様がRHのすべてに必要になってくると思う。3人のよさが浮き彫りになるように真ん中からRHの舵をとっていきたいと思っている。
価値観のベースはばらばらでも、ものづくりやサービスに対するハートはPureに共有できるという確信があるから。

雑木、侵害種なんていうレッテルを人間から一方的に貼られても、気にせず伸び伸びと生きているニセアカシア。シルエットが一定でないので嫌がられてランドスケープ業界からも見放されている。でもどの木よりもキレイだよ、って教えてあげたい。RHも見習って世間体や常識の枠にはまらず飄々とやっていきたい、と思ってます。

2010年3月23日火曜日

考えたこと-3

そんな基準と戦っていくのも疲れたし、なんかないかな、と見回してみたら、やっぱり行き着くところはLife Styleそのものだった。昔のことを思い出したり、今の娘たちをみたりしながら。街にいってもこれは買いたいっていうものに出くわさない。大量生産された物、もの、モノで息苦しいばかり。自分で欲しいものを自分で作っていけたらコンセプトのつじつまあわせなんてしなくていいし、楽しくてしあわせだろうな、と思うようになっていった。

Timelessなものを作りたい。好きだから、洗いざらしになっても着ていたい、お下がりほど価値が出る、そんな風にかわいがってもらえる服を作ったら、それこそ自然にやさしいし自分も幸せだし、いいんじゃないかなと思う。昔会ったことのあるランドスケープアーキテクチャーのモダニズムの先駆者,Garrett Eckbo氏がコットンの擦り切れたネクタイを堂々と愛用していたのが頭に焼き付いていて、あれだな、と思った。

デザインの意図とかRHの理念とかはもちろん大事なんだけど、その反面あまり語りすぎてははいけないっていう気持ちも持っています。素敵と思うからやっている、共感するところがあったら、遊びに来てください、というスタンス、かな。

かなり傲慢です。でも、服や日常雑貨くらい好きにやらせてくれ、と叫んでる自分がいる。おおまじめに遊ばせてくれ、って。

2010年3月22日月曜日

考えたことー2

でもやっぱり設計って機能と安全性という絶対のラインはクリアしないといけないし、最近流行のエコ基準やなんかでがんじがらめなんです。学校でたばかりの所員に“リサイクル材の割合が基準にかなっていません”なんて言われると、サーっと冷めてしまう。アメリカ人って、ダイエットとか好きだけど量をいっぱい食べられるように、低脂肪、ノンコレステロールとか書いてあるものを探しまわってる。そういったもの食べて満腹して幸せになったかというと、おいしくもないから幸せになんか近づくはずがないんです。設計もカロリー表とにらめっこして1500Kcal以内におさまったからよしよし、といってるのと同じだな、と感じ始めました。そんなことやったってちっともいいものなんてできていかない。贅沢に材料を仕入れてたっぷり思いを込めるからこそ文化として後世に受け継がれていくものができるとしたら、いま設計業界がやってることっていうのは、NaturalならなんでもGood。リサイクル材であれば.耐久年数とか後回しになってしまって10年後100年後更に味わい深いものなる器が生活環境の中に生まれいかない。
そこで、、、

考えたこと-1

自分のできる範囲で、嘘のない仕事をすることが幸せ。

そう気付いてからは、会社のしきたりや方針を気にせず、自分のプロジェクトチームを抱えるようにしました。テクノロジーばかりに頼らず、自分の頭で考え自分の手でスケッチするという基本に立ち返りました。そうして、自分の思いを一つ一つスケッチしてクライアントと話しを始めると時間はかかるけどすごく自然でいいものができる、何よりクライアントも自分も納得できて、しいては施工業者なんかもいっしょになってがんばってくれる、という体験をしました。これだな、と気付いて以来、毎回新しい仕事には“これが最後だから徹底的にやろう”という気持ちで取り組むようになりました。

2010年3月18日木曜日

背景

40過ぎたあたりから自分と社会の距離を測るようになりました。それをやってすっかり消耗しました。そんな中で会社でやってる仕事というのは、いかに体裁作りが多いか、ということに気付き始めました。コンセプト掲げてアイデアを練り上げて形にしていく、というと聞こえはいいけれど、実際は形が整ってからそれに合うようにコンセプトをねじ伏せていくようなこともしょっちゅう見受けます。デザイナーのエゴだけのためにクライアントのお金が莫大に動く場面もよくあります。

お金がかかるからそうでもしないとやっていけないのか、クライアントも莫大な設計FEEに対する説明が欲しいわけか、とにかく双方でつじつまあわせばかりやってる現実に?となったわけです。

2010年3月16日火曜日

私にとってのRH 2009.06.08

20年間ランドスケープアーキテクトやってきたことで研ぎ澄まされた感性というのはあるでしょうね。デザインそのものもそうだけど社会に対する関わり方という点でようやく自分の視点が見えてきたのです。

2010年3月15日月曜日

Base Line

RHは生きることの基本である衣食住に着目したいと思います。服に関しては子供が毎日身につけるものなので安全でしっかり縫製され、外でしっかり遊べるように動き易いものがいい。

また、学校の先生、大人、友人を尊ぶ姿勢の証として基本的な身だしなみの回復を提案していきたい=忘れ去られたDisciplineの回復とでもいいますか。

硬いデザインというわけではなく、子供が子供らしく楽に着こなせて大人も笑むことのできるシンプルなラインのものがいいのです。

2010年3月11日木曜日

Robinia Hillの成功を考える

Robinia Hillの成功をそのビジネスの中身から考えてみたとき、このような商品の提供ができ、それに共鳴してくれる人がRobinia Hillの商品を購入することで消費活動に翻弄されたと感じるのではなく、日々の何気ない幸せを感じる、そのような関係が成立したら私はそれがRobinia Hillの成功だと考えます。Robinia Hillの商品を購入した結果、その方達のまわりからものが減れば、それは究極の成功でしょう。

2010年3月9日火曜日

自分を幸せにするもの

このように考えていくと、自分を幸せにするものを提供するという立ち位置から、おのずと提供したい商品が漠然とですが見えて来る気がします。物づくりの過程に、それが手仕事で作られた物であれ、工業製品であれ、作り手の思いが入ったもの、といって、デザイナーズ商品とか何とかいった声高な主張がなくどちらかというと無名の職人の仕事の産物のようなもの、でもだからといって機能一辺倒ではなく愛嬌のあるもの、といったところでしょうか。ゆめゆめ環境とかエコとかを安っぽく唱えていないというのも大事なことです。

2010年3月8日月曜日

所有している喜び

消費生活に疲れ果てた、あるいは翻弄されていると感じる直接的な理由は身の回りにものが溢れているからです。あくまで持ち物が限定されているからこそそのものを所有している喜びが生まれるのだ、ということを私はこれまでの経験から学んできました(まだ学びが十分ではありませんが!)。足るを知る生活が大事だということです。その意味では私を幸せにするものの要因として古くなっても色あせないもの、古くなってこそその輝きを増すものというのは一つの大切な要素かもしれません(絶対的な要素ではありませんが)。

2010年3月7日日曜日

幸せ

私自身はどのようなものから幸せをもらうのでしょうか?その時々でいろいろなものから、としか答えようがありません。というのも、何かものを選びとるという行為はその時々の自分の有り様を如実に反映しているからです。自分自身の有り様は一日のうちでも変化しますし、ましてや大きな時間の流れではその変化はあたりまえのことです。しかし、これまでに私を幸せにしてきたものをやや俯瞰的に眺めてみると、それらは一つのこと、つまり作り手の意思の感じられるもの、その意思を私が能動的に発見し、それに共感したと思えるもの、ということに集約される気もします。もう少し言えば、作り手がその意思を声高に主張していないもの、あくまで謙虚にこんなものいいと思うのですがどうでしょうか?的に主張しているものに私は惹かれてしまいます。

2010年3月6日土曜日

ものと人の関係

人と人の関係は人間の一生を左右する重要な要因ですが、ものと人の関係も人の幸福度を左右する重要な要因だと思うのです。


このように考える時、少しだけ冒頭の問いに答えが見つかる気がします。つまり、人を幸せにするものを作る、提供するということがものを売る側から考えられるこの仕事の魅力だということです。ものと人との幸せな関係は十人十色ですから万人を幸せにするものは存在しないでしょう。しかし、自分を幸せにするもの、という基準から物づくりをはじめればそれに共感してくれる人は存在するのではないでしょうか?私の姉妹はそれぞれに自分を幸せにするもの、という基準をもった人間のように思えます。その意味で私はRobinia Hillの未来を感じることができます。

2010年3月1日月曜日

RHの心の一部

Robinia Hillはテキスタイルをデザインの会社です。生地をデザイン、製作し、生地そのものやそれらを使ってものを作って販売して利潤を得ることを前提としています。しかしながら、消費活動に振り回され、それに辟易している私自身がいかにして物を売る仕事に魅力を感じることができるのか、この問いは私の中に最初から存在しており、まだ確かな答えはありません。


何故消費活動に辟易しているのか、といえば身の回りに真に必要としていないもの、愛着の持てないものが多数存在していて、それらはほかならぬ自分自身の手によって購入され増えていったものと感じるからだと思います。一方で、そのような中でも心が潤うような買い物もあることも事実です。使うたび、身につけるたび、あるいは見るだけでそのものを所有している喜びをもたらしてくれるものは確かに存在します。それらは必ずしも品質がよい、デザインが流行に左右されない、などという優等生の理由ばかりからくるものではありません。突拍子もないもの、どちかといえば粗悪なものの中にも人に喜びを与えるものは存在します。ものと人の関係というのは一人一人違っていてとてもおもしろいものだと思います。