Robinia Hillの舞台裏をご紹介します。

2013年7月2日火曜日

「断捨離」敢行中

今年は嫌がおうにも、まずは実家の「断捨離」を敢行しなければならず、日々少しずつ「持ち物」の整理をしている。それと「気持ち」の整理も・・・。
両親は転勤のある職業ではなかったので、ここに約40年前に引っ越してきて以来、ずっと住み続けてきた。途中で引っ越しなどすれば、荷物の整理をするいい機会になったのであろうが・・・。
私たち姉妹は進学、就職、結婚と時期が来ると順々に実家を離れたが、どこの家庭でも同じであろうが、小さい頃の持ち物は実家に置きっぱなし。
父親は元来物を捨てられない性質で、彼特有の方法でいろんなものを大事にしていた。その中にはどこからか落ちたあるいは拾ってきたネジ、錆びた釘、昭和30年代の頃の給料袋、マッチ箱、古い領収証・・・・。本人にだけ価値のある代物が家にはたくさんあった。父の生前、家の車庫兼物置を改装した時にものすごい勢いでいろんなものを処分したのだが、そのとき父の逆鱗に触れたのを今でも鮮明に覚えている。
父はほとんどパニック状態だった。あのときほど興奮して、怒った父をその以前にも以後にも私は見たことがない。そのとき父は「自分の生きてきた歴史が捨てられた」というようなことを言って、涙と鼻水を流した。
でも実は今は、少しはそのときの父の気持ちがわかる気がする。家の荷物の整理をしはじめて、出てくるわ、出てくるわ、なんでこんなもの取っておいたのだろうというものが!父ほどひどくはないが、ほとんどのものがこの長い年月、無駄にスペースを塞いでいたものばかりで、そのままゴミ袋行きなのだが、中にはやっぱり手元にこのまま置いておきたいと思うものがあるのである。私だけにしか価値のないものなのだが・・・。一体これは誰によっていつ処分されることになるのだろう?
でも面白いもので、捨てる物にしろ、まだしばらく手元に置いておく物にしろ、意外とどこで、どうやって、いつ頃手に入れた物かを覚えていたりする。どれもが生きてきた自分のささやかな「歴史」のどこかに登場してきたものだから。
そう考えると、人一倍物に執着していた父は、いや、きっと父は物に執着していたのではなく、一つ一つの物、それがたとえメモのような紙の切れ端だろうと、使えなくなったカメラであろうとそれにまつわる物語に思いをはせ、忘れずにいたかったと同時に、自分もずっと忘れ去られない存在でいたかったのではないかと思うのである。

実は昨日カセットテープの整理をした。(正確には整理を始めて、整理しつつあるという状況。)音楽ほど過去の場面やそのときの感情を思い出させるのに有効なものはない。それがカセットテープにわざわざ録音、ダビングされたものなら尚更だ。思い出満載なのである。
昨日はもうそのまま捨てるつもりだったのだが、何とうちにはカセットテープを再生できるコンポがあり、「最後に聞いてから捨てるか」と思ったものだから、これがいけなかった!
一瞬でその当時の思い出に「誘われて」しまった。「うぁー、やっぱりもう少し取っておこうかな・・・」と懐かしさのあまり、2回目の再生を試みていると、うん・・・?曲がうねり出した。音楽は永遠だけど、やはりカセットテープは寿命でしたか!というわけで、すでに世の中からは消え去っているカセットテープであるが、うちでずっと眠っていたその生き残りも丁重に処分させていただくことになったのである。